このページは、東日本大震災の復興ボランティアとして石巻で活動している3E 宮森さんの報告を紹介しています。
なお、新しい順に紹介しています。現在は2011年8月と2011年4月のレポートを掲載しています(HP管理者)
石巻市協力隊OB会災害支援プロジェクト
活動報告
昭和53年度ガーナ国派遣青年海外協力隊員 宮森和彦
その3(2011年8月第2回報告分)
期間:8月20−27日
場所:石巻市立渡波小学校
主な活動内容:
渡波小学校に避難している被災者および近隣住民に対する炊き出し支援(約150食分)
鹿妻小学校に避難している被災者に対する炊き出し支援(30食分)
活動期間の昼食のメニューは、以下の通り:
21日、大分佐伯市からの炊き出し支援によるサバのかば焼き丼。
22日、ご飯、八宝菜、味噌汁、漬物
23日、ご飯、クリーム・シチュー、味噌汁、漬物
24日、ご飯、焼き豚入り野菜炒め、味噌汁、漬物
25日、ご飯、サバの野菜あんかけ、味噌汁、漬物
26日、ご飯、肉じゃが、味噌汁、漬物
食材(支援物資など)を有効に使い、被災者で構成された炊き出しチームが自分たちで準備や片付けができるよう援助することに努めた。極力、新しい物を食材として使うようにしている。しかし、どうしても古い物が残ってしまい、食中毒を予防するため、やむなく処分することもあった。
我々の炊き出し支援活動は、そろそろ収束しなければならない時期が来たように思う。いつまでも支援を続けていれば、被災者の自立を阻害することも考えられる。もう市内では、マクドナルドや吉野家などのファーストフードの店、食材を売っているスーパーマーケットが開店しており、現金さえ支払えば、何でも入手できる状況になっている。これ以上、我々が炊き出し支援を続ければ、何とか職を見つけて、自活しようという被災者の気力を削ぐような気がする。もちろん、本当に炊き出し支援がなければ、食事が出来ないという人がいるのも事実だが、その数は少ない。
支援活動の収束に向けて、石巻専修大学で、この3月から使用していたテント、コンロ、鍋などの設備を撤収する。テントには、台風の影響で破損して再生不可能のものもあり、廃棄する。毛布、断熱シートなどを片付ける。近日中に借りている車両を返却するなど、いろいろな作業が残っている。現在は、OB会の仲間が6−7人いるが、そのうちに2−3人しか残らない可能性があり、これから収束に向けての作業が大変になることが予想される。大型テントの撤収は、今のうちにやっておいた方が得策なので実行した。
活動写真:8月26日17時ごろから渡波小学校校庭で行ったそうめん流し
炊き出しの支援以外に、ゴミ集積所の清掃、支援物資の整理などを実施した。
支援物資として届いた自転車のパンク修理をやったが、渡波小学校の倉庫には、その他にも自転車があり、使われないまま放置されている。私が修理した自転車が使用されるのかは疑問が残る。
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その2(2011年8月第1回報告分)
期間:8月9−11日
場所:石巻市立渡波小学校および山形県山辺町少年自然の家
活動内容:
(全体)渡波小学校に避難している被災者に対する炊き出し支援
渡波小学校、湊小学校、および他の地域に避難しているキッズとの交流
(炊き出し)
渡波小学校に避難している被災者の人は、8月現在、仮設住宅などに移動している人が増え、150名程度に減っている。9日の昼食は、カレーライス、ポテトサラダ、漬物で、温かい食事を提供した。食材(支援物資)を有効に使い、被災者の方々が自分たちで準備や片付けができるよう援助することに努めた。前回の4月に来た時も、我々はあくまでもお手伝いということで、被災者が自分たちで食事の用意などができるように努めた。現在は、その環境が整備され、時給700円で一時的ではあるが、被災者の人たちの雇用を創出し、自分たちで炊き出しを行っている。
以前は、我々ボランティアの宿泊先となっていた石巻専修大学キャンパスにあったテントが台風6号で飛ばされた(壊された)こともあり、今では、渡波小学校に隣接し使われていない家を借りて生活している。
電気、水道が復旧しており、給水車による給水が必要なくなった。そのため、飲料水用のポリタンクが片付けられている。直接、水道の水を調理に使えるようになっている。トイレはまだ仮設のものを使っている。その他に仮設シャワーが設置され、水だけではなく温水も浴びられるようになっている。
(スマイル・キャンプ)
夏休みのイベントとして、被災地の小学生のためのキャンプが企画された。参加者は、石巻市にある渡波小学校、湊小学校の小学生、山形に避難している小学生と地元山形の小学生、合計30名だった。夏休みの良い思い出を作ってもらおうと思い、バスで山形県山辺町にある少年自然の家へ行き、小学生と生活を共にした。小学生が他の小学校の子供たちと仲良くなれるようにゲームをし、一緒にテントを設営し、夕食のカレーライスをカマドと薪で作った。どのグループもおいしいカレーライスができ、楽しい食事をした。小学生と一緒にナイト・ウォークをして、蛍を見つけた。少しは、楽しい思い出ができただろうか。我々ボランティアは、あくまでもこのキャンプが楽しくなるようサポートをすることを心がけた。
活動写真:
渡波小学校昇降口にある臨時調理場にて被災者の人たちが、同じく被災し渡波小学校に避難している人にカレーライスを提供している
被災者の人たちが育てている花、その奥に渡波小学校の臨時調理場がある
復興の状況:
渡波小学校に近い長浜地区の陥没した道路(2011年4月)
長浜地区の陥没していた道路(ほぼ同じ場所、2011年8月)
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その1(2011年4月報告分)
期間:4月19−26日
場所:石巻市立渡波小学校
活動内容:
(全体)渡波小学校に避難している被災者および周辺地域の被災者に対する炊き出し支援
渡波小学校体育館にキッズ・コーナーを設け、キッズとの交流
渡波小学校の教室に届いている支援物資の仕分け作業
湊小学校に設置してある風呂の管理支援
支援物資の運搬(石巻市内自衛隊倉庫→渡波小学校、その他)
(炊き出し)
毎日、渡波小学校に避難している被災者の人は、自衛隊より、パン・おにぎりを支給されているが、温かいものを食べていない状況だった。我々は、被災者に元気を出してもらうよう、昼食に温かい食事を提供した。食材(支援物資)からメニューを考え、ご飯、カレー、おでん、ちらし寿司、納豆、缶詰、炊き込みご飯、味噌汁、漬物、などを用意した。用意する量は、1000−1500食という分量で、炊飯に使う釜が米7.5kg用2台、6.0 kg用2台の合計4台を使用し、4回炊かないと十分な量にならない。昼食のために朝の7時から炊飯の準備をする。その他にもおかずの準備を行った。なるべく被災者を巻き込み準備や片付けをするように努め、我々が去った後も、被災者が自分たちで食事を用意できる環境をつくろうという取り組みを行った。
炊き出し(昼食)を取りに来る被災者が14時頃まであり、それから後片付けおよび翌日の準備をする。16−17時ごろ終了し、渡波小学校を出発し、宿泊先となっている石巻専修大学へ戻る。
(石巻災害復興支援協議会)
石巻専修大学5号館1階で、毎晩19時から1時間程度のミーティングが行われている。社会福祉協議会とピースボート(NGO)が議長を務め、いろいろな災害支援(たとえば、医療サービス、移送、炊き出し、泥のかき出し、など)をしているボランティア団体の情報交換、情報共有を目的としたミーティングである。石巻で、炊き出しを実施している団体は、我々の他に4つの団体がある(4月24日時点)が、我々のように1000食以上を提供している団体は無い。
生活:
石巻専修大学キャンパスにテントを張り、そこが宿泊する場所で、寒いので温かい寝袋とエアマットが必要だった。
主要道路は整備され、通行できるが、一歩、街の中に入るとガレキが散乱し、通行できない道がある。
電気は、主要なところ(たとえば、学校、公民館、など)が少しずつ復旧している。
水道は、上水道、下水道ともに復旧しておらず、上水道(飲み水)は、給水車が配給している。下水道については、仮設トイレが設置されている。
携帯電話網は、つながらない個所が少なくなり、復旧が進んでいる。
活動写真:
渡波小学校全景、桜が咲いていた。手前にあるのが、ゴミ捨て場
ちらし寿司を容器に入れている様子、地元の人たちと共に作業している
外気温が低く(10℃前後)、温かい味噌汁をサービスしている
渡波小学校に避難している被災者ばかりでなく周辺に移った被災者にも温かい食事を提供している
食中毒を起こさないように、炊き出し提供後の清掃もしっかり行った
被災者が住んでいる渡波小学校体育館でラジオ体操を行った
渡波小学校に近い長浜地区の陥没した道路
津波の影響で壊れた家とその前にあるガレキ